今はベースダウン要求してもよいくらいの危機なのです

自動車メーカーに続き、電機大手各社の労組からの要求が出ました。今年は未曾有の経済危機で、日本経済を牽引してきた大手各社が、軒並み莫大な赤字を予想しています。

アメリカほどではないにしても、日本の自動車メーカーも相当苦しい状況です。このまま良い手を打たなければ、数年以内に経営危機にも陥りかねません。

 

契約社員の契約を更新しなかったり、工場を休業したり、端から見ていても緊急事態であることはよく分かります。

 

 

それなのに。。。

 

 

ベースアップ要求。しかも、去年の何倍もの・・・

意味が分かりません。

正社員も削減しないといけないか、というような話が出ているときに、ベースアップって・・・

ワークシェアリングして、給料減らしてでも雇用を守ろうという話が出ているようなときに、ベースアップって・・・

私が大手メーカーの末端組合員であったら、驚くと共に抗議すると思います。今は会社が生き残り、成長し、雇用を守ってゆくことが最優先で、給料を増やすなんて言っている場合ではない、と。

 

もちろん、交渉の前には大きな要求を出しておいて、相手の要求との隔たりを埋めながら妥結するのが常識です。それにしても、ベア要求は、あきれるというか笑えます。

 

(仮に給料が減ってもよいから)

  • 必ず雇用を守る
  • 非正規社員をなくす
  • 将来黒字計上するときには、黒字額の○%を給料に回す

と言うような条件を提示するのが、正常な考え方なのではないでしょうか?

捨てられる夫たち

最近話題(?)の熟年離婚ですが、95%以上が妻から言い出されているそうです。
しかも、離婚後、夫は寿命が10年縮み、妻はいきいき生きられるそうです。

言い出されるまで(というか言い出されても)夫は、妻が離婚したいと思っていたことに全く気づいていないことです。つまり、突然妻が離婚を申し出たように思えるのです。しかし、妻の方は何十年も前からの不満が積もり積もって、とうとう言い出したのです。
何が可哀想って、妻はずっと「離婚したい」と思っているのに、夫はそれに気づかずに何十年も一緒にくらしていたという事実です。
たいていそういう夫婦は、妻は家政婦のように使われているので、夫は生活に関する基本的なことが何もできません。離婚後に生活が乱れて早死にします。

妻は自分が家政婦のように働いていると思っているのに、夫は全くそんな風に思っていない。自分が給料を持ってきているのだから、家のことは妻がやって当然と考えているためです。

本当に可哀想です。直接的には、妻に関心を持たず家政婦のように使ってきた夫が悪いのですが、それは、そういう状態が悪いことだと夫が知らないからであって、悪意を持ってやっているのではないのです。特に団塊の世代の人たちなどは、その傾向が強いと思います。
夫婦というのは人生を共に歩むパートナーであって、常に開いてのことを思いやってあげなければいけない。給料を持って帰るだけでは全く不十分である。という教育も受けていなければ、勉強もせず、知らずに数十年過ごし、本人は「俺は家族のために働き、毎月給料を持って帰り、こんな立派な家まで買ってやったのだから妻は満足しているだろう」なんて思っていたりするのです。

夫婦とは何かを正しく認識する暇もなく、身を粉にして働き、高度成長期を支え、日本経済を世界のトップにまで押し上げた熟年男性が、老後を前にして、妻に捨てられ、寂しい人生の終演を待つ・・・悲しすぎます。

数十年、家政婦のように働いて、老後を前に自由を得る妻と、数十年家のことは妻に任せきりで、ただひたすら働き、老後を前に捨てられる夫、どちらが悲劇なのでしょうか?

ちなみに、私はそうはなりたくないと思いつつも、万が一妻に捨てられるようなことがあっても、しっかり生きてゆけるように、妻にちゃんと事情を話して料理を教えてもらっています。だいぶ包丁さばきもうまくなりました。寝る前に洗濯機をセットして、たまに洗濯物を干し、たまに掃除もします。

我慢を我慢と感じないことが成功の必須条件

大きな成功を得るには、大きな努力(我慢)が必要です。

この書類を片づけたら、コーヒーを飲もう。
今日の仕事が終わったら、おいしいビールが飲める。
後1日働けば週末には子供と遊びに行ける。
このプロジェクトが成功すればボーナスが払える。

短い期間の小さな我慢なら、誰でもできると思いますが、それが、長く大きくなると、人によってできる人とできない人がでてきます。
どこまで先のことまで我慢できるのか、それがその人の器量なのかもしれません。

ただ、成功している人が、我慢強いだけなのかというとそうでもないと思います。私の知る限り、とにかく我慢我慢で、ひたすら耐えて、成功した人はいません。いるのかもしれませんが、そういうことを口に出したり、雰囲気として醸し出している人はいません。
端から見ると、ものすごい大変な状況で、我慢している状況であっても、本人はそれほど、苦にしていない。
今、成功したベンチャー企業の社長として脚光を浴びている人たちも、多かれ少なかれ、休みなしで働きまくった時期があります。ほとんどの人は現在もそうでしょう。そして、それが苦でない、むしろ楽しいと感じるから続けられ、それにプラスして才能と運があれば大成功できるのだと思います。

私は、才能と運がないのか、今のところ社長として成功している状態ではありません。でも、毎日が楽しくて仕方がないという感覚は得られました。借金まみれで、給料少なくても悲壮感も悲観も全くなく、楽しく生活しています。

なぜ働くのか

私は、何度か就職活動中の学生さんの前でお話しする機会をもらったことがあります。テーマとして「働くとは?」なんて言うものを与えられたりして、パネルディスカッションとか、グループディスカッションなどをしたことがあります。
そのようなとき、よく感じるのが、私自身の「働くこと」に対する考え方が、一般の人とは大きくずれているということです。
私の場合、働くことも遊ぶことも学ぶことも、もっと言えば結婚することも、子育ても、全部同じ次元のものであり、すべては自分の欲求を満たすためにやっているのです。遊びたいから遊ぶ、この人と一生一緒にいたいから結婚する、子供と遊ぶのが楽しいから遊ぶ、仕事がしたいから仕事をする・・・。もちろん、今の人生すべてが直接的にやりたいこととは限りません。お客さんには下げたくない頭を下げ、疲れて帰った家で家事をすることは、直接的にはやりたくないことです。でも、いやなお客さんに頭を下げることで会社がよくなるのなら、それも楽しい。家事をすることで妻が喜ぶのならそれも楽しい。

私の場合、バブル期に所謂一流企業に就職しました。しかし、4年後にあまりその会社の仕事が楽しくないと感じ、退職し、オーストラリアに渡りました。そこでプラプラしながら、遊んで、しばらくして就職活動をし始めました。英語もろくに話せない外国人が雇ってもらえるわけもなく、100件くらいは断られました。でも、悲壮感はありませんでした。バイトも楽しかったし、海に入る時間もたくさん取れるし、幸せでした。もちろん、働きたい会社に雇ってもらえれば、嬉しかったでしょう。でも、雇ってもらえなくても幸せなのだから、やはり楽しかったです。やがて、雇ってくれる会社が見つかり、そこでいろいろ勉強もできて、仕事もできて、楽しかったです。すべての経験が、今の人生につながっています。

人生を楽しくするのに必要なのは、楽しいことに没頭する集中力と、それを客観的に眺められる余裕だと思います。

私の場合、なぜレンガを積んでいるのかと尋ねられたら、レンガを積むのが楽しいからと答えたいです。いろいろ工夫して早く積む方法を考えたり、隣の人と競争してみたり、単調な仕事であっても何か楽しい種はあるでしょう。でも、実は、こころの奥には、教会を造る夢と計画はもっていて、楽しく遊んでいる中でも教会ができあがるというのが理想です。

教会ができあがらなくても、楽しいレンガ積みができたのだからHappy!
教会ができあがれば、楽しいレンガ積みは終わるが、人を幸せにもできるのだからHappy!

そんな考え方ができれば、ほとんどの人の人生は楽しい人生と言えると思います。