7,000日目!

本日、2013年9月11日は、私がジーアップという屋号で仕事を始めてちょうど7,000日目(1,000週目)にあたります。
 
先日9月5日が、日本で会社を設立して17年目だったのですが、創業はそれより2年ほど前になります。
 
1994年7月14日 オーストラリアのシドニーで、G-UP COMPUTERというビジネスネーム(屋号)登録したのが創業の日です。
それから1,000週間「ジーアップの柴田俊」として生きてきたことになります。
 
話は少し変わりますが、私が今覚えている一番古い記憶(日付が特定できるもの)は、保育園の年中組のときの運動会の朝です。
熱を出して1週間ほど保育園を休んでいました。熱も下がりほぼ回復したので、せっかくの運動会だからと、親が連れて行くことを決定し、それを運動会の日の朝告げられました。でも、私が休んだ最後の1週間で、全員が運動会の練習を繰り返し、段取りをよく分かっているはずです。そこに、段取りも知らず練習もできていない状態の自分が、入るなんて絶対に嫌でした。
それで、泣き叫んで猛烈に抵抗しました。でも、結局、無理矢理保育園の先生に引き渡されたのでした。その時の記憶が人生の最初の記憶です。
 
この人生最初の記憶、アルバムで確認したら1975年の10月6日でした。その日から今日まで 13,855日。
記憶があるのが13,855日、ジーアップを始めて7,000日。つまり、私の記憶の中の半分は「ジーアップの柴田俊」です。
何となく周囲の勧めでビジネス登録をすることにし、数時間だけ考えて決めた名前「ジーアップ」が、こんなにも長く使い続ける名前になるとは7,000日前の私は全く思っていませんでした。ジーアップ(G-UP)って、どういう意味ですか?とよく聞かれますが、せっかく7,000日間秘密にしてきたので、あと3,000日秘密にします(笑)
もし、10,000日目を迎えることができたなら、その時に発表したいと思います。
ちなみに、10,000日目は、2021年11月28日(月)です。Googleカレンダーに予定を入れておきました(笑)

最後の最後

私は、普通の人よりプレッシャーを感じたり、緊張したり、悩んだりすることが少ないと思います。最近は特にそうです。

 その理由は、

成るようにしかならない

と思っているからです。重要な交渉でもプレゼンでも、上手にできるかどうかは練習やそれまでの人生で培ってきたものによってきまるので、当日その場では必要以上には緊張しません。そして、もう一つ

成るようになる

と思っているからです。重要な交渉でもプレゼンでも上手にできない可能性はあるけれど、そうであっても、本当に熱意と努力を注ぎ込んでいればきっと上手くいくし、もし、その交渉がだめで骨折り損になっても、いつか神様はきっと棚からぼたもちを落としてくれると思います。


自分にとって何が1番怖いことなのか、何を1番避けたいか、最後の最後まで守りたいものは何か、それが明確にすれば悩みはほとんどなくなると思います。

僕の場合、それは「家族」です。最後の最後、家族の信頼や愛情さえ残るのであれば、あとは捨てられます。家族にさえ信じてもらえているのであれば、難しい交渉に行ったり、謂れ無きことで叱られたり、晒し者にされたり、恥をかかされたとしても耐えられます。

他人に高い評価をしてもらえるのは嬉しいけれど、他人からの評価ばかり気にしていると、プレッシャーを感じたり、悩んだりしなければいけません。最後の最後、世界中のすべての人が低い評価をしたとしても、家族から高く評価してもらえていればそれでいい。耐えられます。

先日も妻には

「よく呑気に寝られるねぇ。私なら直ぐ胃に穴が開くわ」

と褒められましたが、そうやって妻に褒めてもらってから、地獄の釜にに飛び込んで、無事生還しました(笑) 

正解や完璧がないこと

先日、ラジオを聞いていたら、NHKのアナウンサーが「スポーツ実況に満点は無い」というようなことを言っていました。

同じ競技を見ながら実況するにしても、どこに焦点を当てるのか、沢山しゃべるのか、あまりしゃべらないのかなど、様々な要因が組み合わさっているので、完璧ということはないということです。

オリンピック中継などでは、会場内の空気感などによっても、伝えるべきものは変わるし、競技者自身の気持ちによっても、伝えるべきものは違うのだそうです。

子育てや人生も、満点もないことかもしれません。

子どもにとって何がよいのか、誰にもわかりません。お金に不自由せず大学では勉学に集中できるのがよいのか、親があまりお金を持っていなくて、アルバイトをたくさんして苦労をして大学を出る子と、どちらがよいでしょうか?

学業成績は、前者の方がよくなるかもしれません。後者はお金のありがたみや、社会の厳しさを知り、たくましく人生を歩けるようになるかもしれません。

一流企業に入社できるのは、学業成績がよい人でしょうか?様々な経験をした人でしょうか?

どちらもあり得ます。学業成績がよくて得をすることも沢山あります。お金に不自由しなくて得をすることも沢山あります。

でも、学業成績が悪くても得をすることもあります。でも、たとえば学業成績がよい子だけが、学校の先生になったとしたら、「勉強ができない子、苦手な子」の気持ちが心から理解できるでしょうか?

どんなことにも、よい点と悪い点が一緒についてきます。受け止める人や、その人の状態によってどちらがよいかが決まる場合もあるし、それでもどちらがよいのかわからないこともあります。

どんな親も、子の幸せを願っているはずです。 

そのために何をするのか?

お金を十分に稼いで十分に与えるのか?

失敗ばかりしてお金にも苦労して、働きながら大学を出てもらうのか?

正解や完璧な答えはありません。

僕自身は子どもたちに「楽しそうに生きている姿を見せる」ことだけはしてゆきたいと思っています。どんな状況であっても「人生は楽しい」それだけは一生かけて子どもらに伝えたいです。それが伝われば「後は自分でがんばってね」です。

団塊の世代から団塊ジュニアまではカサブタ

昨日、NPO法人G-netのチャレンジフォーラムに参加してきました。

基調講演は、デフレの正体の著者「藻谷浩介」さんでした。藻谷さんの講演を聞くのは3回目でしたが、これまで聞けなかった話も聞けてとても勉強になりました。これまで聞いた2回は、経営者向けであり、主に40歳以上の参加者が多かったのですが、今回は大学生が多く、その方々を対象に「おじさん相手の講演では言わないけど」的な発言が特におもしろかったです。

 

人口減少は波で押し寄せてくるという話が基本なのですが、子育てを男女で行う話や、ゆとり教育はとてもよいという話、オリンピックのメダル数が増えた要因などにも、人口構成グラフから汲み取れることがあるというのも興味深かったです。

 

一番面白かったのは、「日本経済がダメになっている」とか「日本はこのままではダメだ」と言っているのは団塊の世代から団塊ジュニアまでの年寄りだけ。そんな年寄りの言うことを信じてはいけないというような話。 

 

確かに団塊の世代から団塊ジュニアまでは日本の人口構成グラフの大きな波で、それが津波のように押し寄せてきていて、現在のいろいろな問題(と言われること)がおきているけど、あと50年もすれば団塊の世代はもちろん、団塊ジュニアもいなくなり、日本の人口構成グラフはフラットになる。そして、安定成長をする良い国になる。今の大学生はそういう穏やかで幸せな老後が過ごせるのだそうです。

 

団塊の世代から団塊ジュニアまでは、人口構成グラフのポコンと飛び出したカサブタみたいなもので、それが剥がれ落ちれば、綺麗な新しい肌ができるという例えが、とてもしっくり来ました。私は団塊ジュニアよりちょっと上なのですが、カサブタとして潔く剥がれ落ちてゆきたいと思います(笑)

 

今日本を牛耳っている団塊の世代も、最も労働力として貢献している団塊ジュニアの世代も、この人達の生きてきたこれまでの日本社会では、物凄く同世代の人口が多くて競争させられていたのだけど、今は子どもは急激に少なくなってきているし、競争すべきは国内ではなくなってきています。それなのに、景気が良かった頃は、とか、景気さえ良くなれば的な考えを持って、今の若い人達に接しても共感もされないし、実際に見当違いなことばかりになります。

 

ゆとり教育が悪かったと言われていますが、バブル絶頂期、日本が一番良かったと言われている頃、オリンピックでは数個のメダルしか取れなかったのに、ゆとり教育をうけてきた今の若者達は40個近くのメダルを取っています。

 

基調講演の後の、学生たちの発表などを聞いていても、若者たちは頑張っているのだなぁと思います。
 

おじさんたちも、威張ってないで頑張らんとイカンなぁと思います。 

社員に指示を受ける

最近、社員から指示を受けることが増えてきました。

一応、私社長なので、普通に考えると「えっ?」ということになるかもしれませんが、私はとても良い方向に進めていると感じています。

 

うちの会社は、社員数4名の小さな会社です。組織とは呼べないくらいの小さなグループです。これまではプロジェクトごとに担当者を決めても、私が多くの仕事の管理をし、社員に細かく指示を出していました。 

 

10年以上そのスタイルは変わりませんでした。その理由は

「とても社員はまだ任せられない」と思っていたからです。

 

役所に申請する書類を作る場合、細かい制度変更などを追いかけて、微妙な言い回しなどを入れないといけないことも多く、これまでの経緯や様々な経験を踏まえて書かないといけないので、私しか出来ない仕事だと思っていました。

それが、近年、変わってきました。それぞれの仕事を担当者にやってもらうようににしました。・・・なんて書くとカッコイイですが、実際は、契約上の規定や、私の時間や能力の限界などにより、やむを得ずそうなった部分もあります。

 

いずれにしても、結果はとても良い方向に行きました。

 

それぞれの担当者が、主体性と責任を持って業務に当たってくれる割合が急激に増えました。

「何をしましょうか?」ではなく

「これをこのようにやろうと思いますがよいですか?」

というような連絡に変わってきました。私は確認して承認するだけです。

 

任せて大丈夫との確信を得たのは、先日あった監督機関からの監査対応の時です。

前の週に「来週の木曜日に伺います。経営者の方が対応していただく必要はありません。」と、突然の連絡を受けました。私はだいぶ前に出張が決まっていてその日は不在です。

以前なら、その出張の予定を変更してもらうか、調査の日程を変更してもらうように交渉したでしょうが、今回は思い切って、その仕事の書類制作と管理を担当しているパートの女性スタッフに任せてみることにしました。

 

結果は、Okでもなく、Goodでもなく、Excellentな対応でした。

 

とても感動しました。そして、反省しました。これまで社員の能力の限界を作っていたのは私だったのではないかと。

 

それぞれのスタッフが、自律して業務を進めるようになっても、スタッフの数は変わりません。相変わらずギリギリです。

イベント的なことの当日の運営は私も含めて全スタッフ総動員で対応し乗り切ります。

  

段取りや役割分担も担当スタッフが決めて指示します。そういうときは私は、社長ではなく、その業務の一スタッフとして、コピーを取ったり、受付だったり担当スタッフの指示を仰ぎながら自分の役割をこなします。

 

それが、私が最近、社員の指示で仕事をすることが増えてきた理由です。


 

人に指示されたり、誰かの言うことを聞くのがイヤで、自分で会社を始めたのに、16年経ち、指示を受けて仕事するのがとても気持ちよく感じるとは不思議なモノです。

この社員たちと一緒にいい仕事ができるよう、一番頑張らねばならないのは私です。

 

全員の不安を取り除き、自信と勇気とエネルギーに満ちあふれ「みんなで、あそこに行くぞー!」とゴールを指し示せるリーダーになりたいと思います