プロフィール

【略歴】
柴田俊(しばたしゅん)柴田俊の写真
有限会社ジーアップ代表取締役。キャリアカウンセラー。
1970年生まれ。岐阜県土岐市在住。大手コンピュータメーカーのシステム開発部門に勤務後、オーストラリアに渡る。約4年間シドニーで生活後、1996年に帰国。帰国後すぐに有限会社ジーアップ設立。2002年に山に囲まれた中古住宅を購入。自宅の庭で、春は山桜の花見、夏はホタル見物、流しそうめん、秋は山菜採りを楽しむ。また、井戸を掘ったり、サンルームを自作したり、スズメバチの巣を駆除したり、自宅のメンテナンスも自己流でこなす。
現在は会社経営の傍ら、大学、高校、自治体の主催するセミナー講師なども行っている。

【起業家として】
1989年4月 高校卒業。大手コンピュータメーカーに就職。システム開発に従事。
1992年9月 退職。オーストラリア(シドニー)へ渡る。
1993年2月 開業資金を貯めるため一旦帰国し、運送会社で10ヶ月間で300万円貯金。
1994年2月 再びシドニーへ。
1995年7月 シドニーで G-UP COMPUTER ビジネス登録(創業)
翻訳会社で翻訳支援システムの開発・運用、日系企業へのパソコン、インターネットサポート事業などを行う。
1996年9月 帰国。有限会社ジーアップコンピュータ設立。
産業翻訳、システム開発、書類電子化事業などを行う。
1997年   IPフォン事業で失敗(借金だけが残る)。
1998年   農業支援事業で失敗(借金が膨らむ)。
1998年9月 (財)マルチメディアコンテンツ振興協会の公募にて「外国人向けマルチメディア日本生活ガイド」採択
2001年7月 (財)デジタルコンテンツ協会の公募にて「XMLを利用したデジタル野球記録システム」採択
2001年9月 (財)コンピュータ教育センターの公募にて「美濃焼の歴史と焼き物の仕組みの学習」採択
2002年3月 有限会社ジーアップに社名変更
2003年7月 独立行政法人情報処理推進機構の公募にて「病医院の診察順番管理・呼出システム」採択
2007年7月 システム開発部門拡充のため事務所移転。
2010年11月 就職支援事業開始(基金訓練)
2012年4月 岐阜県委託訓練開始
2012年12月 岐阜県委託事業「ガンバレ!就活生サポート事業」受託
2018年2月 株式会社ジーネックス設立(事業移管)代表取締役就任
2018年2月 株式会社NEXTSTAGE 取締役就任
2020年6月 株式会社NEXTSTAGE 取締役退任

【田舎生活者として】
岐阜県多治見市生まれ、多治見育ち。子どもの頃から都会の生活にあこがれて、就職後、希望を出して横浜の事業所へ配属され、念願の都会生活開始。
ところが、実際の生活は想像していたよりもつまらないと感じ、さらに都会でオシャレな街へ行こうと、シドニーへ引っ越し。都会の生活を満喫。
都会生活をするなかで、田舎の良さを再認識。若手陶芸家仲間とのつきあいを通して、さらに田舎暮らしへの気持ちが強くなる。
結婚後、瑞浪市内の普通のアパートに暮らしながらも、田舎の家を探し始める。半年くらいで、現在の自宅を不動産屋さんに紹介され引っ越す。家は岐阜県土岐市内ではあるものの、標高400m以上の温泉地。何よりも気に入ったのが、家のまわりは森で近所に家がないこと。
築30年の中古住宅を、床を張り替えたり、壁紙を貼り替えたり、縁側を作ったり、自分で増改築しながら生活。水道はなく、井戸水。井戸の調子が悪くなったとき井戸堀マシーンを購入して、新たな井戸掘りに挑戦。
近所迷惑を全く気にしなくてよいので、友達を呼んでバーベキュー、流しそうめん、ダッチオーブンで鶏の丸焼き、焼き芋、キャンプファイヤーなどやりたい放題。
家の周りは、完全に野生。夏場は窓を開けていることもあり、野鳥の鳴き声、蝉の鳴き声がかなりうるさい(直ぐに慣れた)。イノシシ、タヌキが家の周りを闊歩するし、子どもたちは学校で支給された熊鈴をランドセルにつけて登下校。冬は-18度を記録する程寒いが、その分、夏は涼しくエアコン不要。

【アスリートとして】
高校まで水泳部に所属し、水泳に全てをかけた高校生活を送る。オーストラリアではライフセーバーの資格を取得し、シーズン中はビーチパトロールや、競技会に出場。その後、しばらく本格的なトレーニングは中断。2008年(37歳)、本格的な水泳の練習再開。マスターズの地区大会は毎回優勝。県大会では入賞。短距離においては高校生の頃の記録を上回る。2012年から水泳の練習の一環としてランニング開始。ハーフマラソン大会に出場するようになる。スイムとランを組み合わせたアクアスロンのレースに出場したら優勝できてしまい、調子に乗ってトライアスロンに出場するようになる。現在は、トライアスロンをメインにランニングの大会にも出場中。

2020年10月 長良川国際トライアスロン(出場予定)
2019年6月 木曽三川トライアスロン 2時間16分25秒 総合30位 年代別5位
2019年5月 長良川ミドルトライアスロン 4時間34分09秒 総合41位 年代別10位
2018年6月 木曽三川トライアスロン 総合19位 年代別5位
2018年5月 長良川ミドルトライアスロン 総合40位 年代別10位
2017年7月 長良川国際トライアスロン 2時間13分25秒 45歳区分 3位
2017年6月 木曽三川トライアスロン 2時間16分04秒 40代の部優勝
2017年5月 長良川ミドルトライアスロン 4時間36分00秒 総合22位 年代別5位
2017年3月 世界マスターズ室内陸上(韓国テグ市)1500m 4出場(日本人1位)
2016年7月 長良川国際トライアスロン 2時間17分58秒 45歳の部5位
2016年6月 木曽三川トライアスロン 2時間22分55秒 40代の部8位
2014年9月 愛知アクアスロン大会 ロングの部 総合優勝。
2014年6月 蒲郡オレンジトライアスロン 2時間21分19秒 40代の部2位。
2014年6月 木曽三川トライアスロン 2時間24分10秒 40代の部2位。
2014年4月 恵那峡ハーフマラソン1時間26分34秒
2013年9月 第2回南知多アクアスロン大会 ショートの部 総合優勝。

【父親として】
2002年5月に父親となる。娘のかわいさに気絶しそうになる。0歳から3歳まで保育園の送迎をする。その間はほぼ残業ゼロで帰宅し、風呂に入れたり寝かしつけたりなど一通り全てのことはできるようになる。長女2歳の時、次女誕生。直後に長女と1週間オーストラリアに旅行。
毎年ゴールデンウィークに娘二人と旅行。当初は行き先を秘密にしておいて、寝ている子どもを未明に車に移し、着いた場所で車中泊。長女が小学校を卒業するまで続けた。
2018年娘が高校生になり、15年ぶりに再び娘と毎日車で送迎することになる。

(つづく)

【夫婦円満研究家として】