高速道路料金が1000円になることについて思うこと

28日から、高速道路の料金が休日は、1000円以下になります。最大の目的は、国民の皆さんにたくさん高速道路を使って出かけてもらって、内需を拡大することです。

 

期待できる効果については、いろいろな意見があり、私も私なりの考えがありますが、今回は経済的な効果ではない点での意見を述べます。

 

恐らく高速道路料金が1000円になれば、たくさんの人が高速道路を使うようになるでしょう。しかも渋滞も多発して、思い切りCO2が出まくります。京都議定書の削減目標達成が相当難しいと言われている中で、CO2を増加させるような政策は、地球にとっても日本にとってもよくない事だと思います。

 

同じ旅行を促す政策で予算を使うのなら、電車にどこまで乗っても1日1000円だったらCO2を増やさずに、たくさんの人の移動を促せるのに、と思います。

電車やバスは、高速道路と違って、たくさんの民間企業がいろいろなシステムで運用しているから、技術的に実現が難しいということなのだと思いますが、だからといって安易に高速道路を使わせるのがよいとは思えません。

 

そもそも、みんな将来の不安のために、お金を貯め込んで使わないのですから、将来の不安を取り除いてやらないと、本当の意味での消費拡大は進まないと思います。文化も経済構造も違うので、同じにする必要はありませんが、せめて、アメリカ人の半分くらいの「とりあえず使っちまおうぜ」精神を持てたら、日本経済は上向くと思います。

 

卒園式の練習がはじまりました

昨日、Hannaと風呂に入っていると

「今日、すごく疲れたんだよねぇ。もう、眠い」

と言います。卒園式の練習が始まったのだそうです。何がそんなに疲れるのかと聞くと

「ずーっと、立っとるだけでさぁ。つまらんし、疲れる」

のだそうです。確かに保育園の卒園式なんて、完全に先生の言うとおりに先生の決めた内容に従って行うだけだし、そもそも、卒園と言うことに対しての思い入れというか、理解も全然違います。

 

親としては、まだ、歩くこともできずオムツを着けていたHannaが、6年間の保育園がいよいよ終わりを迎えようとしていて、卒園式の練習がはじまった、と考えるだけで感慨無量です。

ド変態です

ベストタイム更新しました。・・・と言っても練習のことです。

 

昨晩は、早く家に帰ることができたので、練習会に参加できるかと思っていたのですが、やっぱりHannaに猛烈に拒絶され、結局練習会には参加できませんでした。


かと一緒に練習すると、思い詰めなくても、周りの人に引っ張られて自然と極限に近いところでの練習ができます。でも、一人で練習するときは、相当精神レベルを高く保っていないと
なかなか追い込めません。ひとつひとつの練習メニューを、自分なりに目標を持って、それを何が何でも達成する気力の維持が必要です。

 

最近はほとんど練習会に参加できていないので、一人で練習することが多くなり、水泳の練習をしているのか、精神修養しているのかわからない感じです。

特にインターバルタイムの長い練習は、精神的にきついです。どうしてかというと、インターバルタイムが長いと、ゆっくり泳げばラクですし、どれだけがんばるかは自分次第だからです。

50m×9本を1分15秒くらいのインターバルで泳ぐのがそれにあたります。3の倍数の数字のときだけあほになるほど必死に泳ぎます。この練習を始めた当初は、最後泳ぎ切っても、プールから上がれない程の状態にまでは追い込めませんでしたが、最近は泳ぎ終わったら倒れるくらいに追い込めるようになってきました。

昨晩も練習の最後のメニューは、これにしました。そして、ついに念願の目標「3本とも30秒」を切ることができました。プチ雄叫びを上げて、倒れ込んだとき、大会でよい成績が出たときのような気持ちよさが体と頭を巡りました。

 

・・・が、翌朝(つまり今)冷静に状況を考えてみるとおかしいですね。自ら脈拍を200近くまで上げて(それも何度も)、ゼーゼー言いながら、気持ちがよいとは・・・ド変態です。

流されて生きる

大学生のグループの前で話をすると、よく聞くのが

「何となく世の中に流されて生きている気がする」

「人に流されて生きていくのがいや」

という意見です。だから、自分で自分の運命を切り開いていけるような人になりたい。だから、インターンなどをして自分を変えたい・・・ということで、長期インターンシップのイベントなどに来ているそうです。

いかにも若者らしい意見で、自分の意思を持っているという意味ではすごく良いと思うのですが、ある程度は流されて生きるという考えは否定してはいけないと思います。

 

良くも悪くも、人間は誰もが社会の中で生かされている、社会がなければ生きてゆけないのですから、ある程度は社会から与えられた仕事や環境を受け入れる必要があります。

ただ、その流されるときに意思を持っているか、どれくらい主体となってそれができるのかが問題だと思います。

先の大学生とのイベントでは、私は「ものすごい強い意志を持って、世の中に流されずに生きてきた人」みたいに思われていますが、実際は、起業したのも「勤めていた会社の社長に勧められて」というのが直接の理由ですし、今の水泳にしても「先輩に誘われて」という理由で始めています。

人に言われて実行した、所謂「人に流されている」のですが、でも、結果としてはどちらもものすごく自分にとっては良かったし、おかげでとても楽しい人生を送れていると思います。

 

他人の言うことを聞かないということが、人に流されない人生ではなく、

自分で責任を取る覚悟を持つ

ことが人に流されない人生なのです。もし、これまでに私の会社が倒産していたとしても、決してそれは企業を進めてくれた社長のせいではないし、もし、うまくいったとしても、それも自分の責任(成果)なのです。

 

「自分が周りに流された人生を送っている」とネガティブに考えている人と、そうでない人の違いは、いろいろな出来事の結果を、他人のせいにしているか、自分の責任だと考えているかの違いだけです。

 

流されて生きたくない

と考えている若い人たちは、全ての責任は自分にある、と考え方を変えてみましょう。そのうち流されている感じがしなくなるし、その先では、流されていること自体も悪くないと思えるはずです。

妻の自慢大会

先日、男の人3人(経営者)で飲みに行きました。

5時間近く飲み続け、経済問題、時事問題、教育問題、環境問題、流行のグッズなどなど、いろいろなことを話し続け、最後は、

「自分の妻の自慢」

というテーマでそれぞれが話をするということになりました。

 

みなさんいわゆる「新婚」ではなく、冷静に自分の妻を見られる時期になっている中で、なかなか照れくさい(それ自体がヨーロッパ人には怒られるかもしれませんが)のですが、みんな真面目に話せました。

 

日本人って、何となく妻の自慢をするようなことってしないし、できない気がします。私も今まで、他人にそんな話をしたことはありませんでした。

なかなか新鮮で楽しい飲み会となりました。

 

妻の自慢話は、(新婚の頃の浮かれたのろけ話でなければ)誰に迷惑をかけるわけでもなく、改めて冷静に妻の良いところを考え直すこともできて、家庭円満の助けになるし、良いことだと思います。

 

良く居酒屋では、妻の愚痴を言い合っている人達を見ますが、一度(無理してでも良いので)「妻の自慢大会」を開いてみてはいかがでしょうか?